「戦後70年 被爆体験の世界化に向けて」の集い

「戦後70年 被爆体験の世界化に向けて」の集い

「戦後70年 被爆体験の世界化に向けて」の集い

We had a meeting for the globalization of the Atomic bomb
survivors’ experiences. The stories of the survivor and her
daughter of post-war birth gave a deep impression on the
audience.

「戦後70年 被爆体験の世界化に向けて」をテーマにした市民・学生の集いがNET-GTASの主催で3月21日(土)に京都外大で行われました。
主役は、原爆被爆者・濱恭子さん(89)と、その長女で被爆二世である鳥羽洋子さん(62)。濱さんは、19歳だった1945年3月、大阪大空襲に遭遇。米軍の爆撃機274機が無数の焼夷弾を投下。母親とともに火の海を逃げ惑い、手にしていたこたつ布団を水槽につけてはかぶり、かぶっては水に浸し、を繰り返して命拾いをしました。 家を失い広島の親類宅に身を寄せるのですが、5か月後、今度は原爆が投下されます。家は倒壊し、背中に大けがをして避難する中、黒い雨。母親がトタン板と棒切れ4本を組み合わせ、雨を避けて寝かせてくれたのです。戦後、母親が胃がんで亡くなったのは、娘のためにわが身を雨にさらしたためだ、と恭子さんは考えています。
一方、戦後生まれの洋子さんは学校の社会科の先生になり、恭子さんを教室に招いて被爆体験を語ってもらうなど、実体験に基づく平和教育に力を入れてきました。
2006年にパリ大学に留学。平和活動家、美帆シボさんとの出会いからフランスとの交流を重ねます。フランスの著名な音楽家、ルネ・マイヤーさんと知り合ったことから、洋子さんは恭子さんの体験記をフランス語に翻訳。これがフランス人の手で詩になり、マイヤーさんの手でカンタータになってCDに。洋子さんがフランス語の歌詞を再度日本語に翻訳し直すという「ことばの鎖」を作りました。
2人の語りに続いて、「広島を生きぬいて」と題するカンタータのDVDを視聴。音楽に合わせて、フランス語の歌詞と日本語訳の字幕がプロジェクターに映し出されます。楽曲の意味合いが日仏両文で読み取れる仕掛けに、「翻訳」の効果を強く感じさせる演出となりました。
その感動の冷めない間に、「ことばの壁を乗り越える」ことの意義について会場とのやりとり。NET-GTASの幹事であるクレイグ・スミス国際教養学科長が、20歳の学生の肩に手をやり、「君が50歳になるまで、あと30年、平和を保てば日本は平和を100年続けることになる。世界でもまれなこと。みんなで実現しよう」と訴え、拍手を引き起こしました。
市民・学生の集いに引き続いて、関西在住のNET-GTASメンバーの集いも開かれ、「末永く翻訳活動の輪を広げよう」と誓い合いました。  (長谷 邦彦)

(濱恭子さんの被爆体験の詳細は、後日「被爆者ものがたり」のカテゴリーで掲載します。)

  • カンタータ「広島を生きぬいて」を字幕付きで視聴する市民の集い
  • 濱恭子さん(右)と鳥羽洋子さん NET-GTASの集いで

Follow me!

イベントカテゴリの最新記事

PAGE TOP