被爆者ものがたり② 田村サワ子さん

被爆者ものがたり② 田村サワ子さん
NET-GTASによる初めての翻訳作品である
5人の被爆者ビデオから、
それぞれの証言を手短に紹介します。

 

>We introduce you each lives of five survivors the NET-GTAS
translated into foreign languages for the first time

 

田村サワ子さん

(21歳で被爆。撮影時79歳、徳島県松茂町在住)

Ms. TAMURA Sawako (21 years old at the time of bombing. Filmed at 79 years, living in Matsushige-cho, Tokushima Prefecture)

21歳、長崎県大村市の海軍病院に看護婦として勤務中、長崎市上空にキノコ雲が立ち上るのを見る。夕方から被災者が続々収容されてきたため、救護活動にあたり、2次被爆。仕事柄、救護の現場の悲惨な状況を事細かに、具体的に証言している。
押し寄せる被災者はみな、露出していた肌は焼けただれ、皮膚が垂れ下がっていた。その夜には100人ほどが死亡。病院の裏手の空き地を掘り返して土葬した。住所も名前もわからず、爪と髪の毛を切り紙袋に収め、表に人相と特徴を書き記し、安否確認に訪れる人々に
説明したという。
担当の病棟が内科で比較的軽症の患者が多く、やけどの治療はまずクレゾール液で消毒。ガーゼにリパノール液をしみ込ませて患部に貼り付け、包帯をぐるぐる巻きにした。しかし、傷口にはウジがわき、血を吸う。表皮を切って消毒するが、翌日にはまた現れる。
「3日後から、放射能症状として脱毛症状が出始めました。ばさっと髪の毛が抜ける。注射した後は黒紫になって腐ってくる。白血球の減少で抵抗力がなくなり、紫斑の症状が出ると、2,3日で亡くなりました」
11月下旬まで看護し、その人たちの放射線を受け、その後、子宮筋腫にかかったり、骨がもろいと言われたりしたという。「子どもが小さいころは、自分が被ばくしているとは言えなかった。被爆者健康手帳を取得してからはだんだん世の中が認めてくれるようになり、それで話せるようになった。それまではひた隠しにしていた」。直接被爆したわけではないのに、健康不安と差別が戦後の生活に影響を与え続けるのだ。
「あの悲惨さを絶対忘れません。あの時でさえあの悲惨さですから、今は威力が違いますから、(再度)使われたらもう、いっぺんに生きている人はいないと思います」「私は養護教員として高校に勤めていました。原爆の話をすると、子どもたちの目が輝き真剣に聞いてくれるのです。私が話しても、響くのかな、と思います」。表情はにこやかだが、体験を引き継ぐ決意は固い。(長谷 邦彦)

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