松浦秀人さん(胎内被爆者)のお話
学生サポーター会議がこのほど、愛媛県から被爆者を京都外大にお招きして、戦後70年の半生を振り返るお話を聴きました。
語り手は、愛媛県原爆被害者の会事務局長で日本原水爆被害者団体協議会代表理事でもある松浦秀人さん。広島に原爆が投下されたときに母親のおなかにいた、いわゆる『胎内被爆者』です。
その立場から「核兵器のない世界」を求めて活動を続けており、この春にはNPT(核拡散防止条約)再検討会議に合わせて日本被団協の代表団に参加、ニューヨークの国連本部で被団協が開いた原爆展で見学者らに、自らの人生について語り、平和へのメッセージを伝えてきたのです。
お話の会は11月27日(金)夕、2号館243教室で開かれ、「私が国連で伝えたこと」をテーマに、話をされました。
2日前に「70歳」の誕生日を迎えたばかりの松浦さんは「1945年8月6日はまだ母親の胎内で原爆の放射能を浴びたのだから、その日の体験は、ない。親から聞いた話をするしかない」と断りながら、それでも結婚や子供が生まれるときの不安がはんぱなものではなかったことを語ってくれました。「最年少の被爆者として、若いみなさんとの間で、平和に向けた橋渡し役をこれからも努めたい」と決意を述べられました。
イベントは、サポーター会議が「ピカ☆イチ」活動の一環で開いたもの。会を盛り上げるために、4日前の23日から1号館1階通路で原爆に関するミニ展示を実施。クイズを多用した展示が学生の目を引いていました。
(長谷 邦彦 =代表)
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