「原爆投下73年」にウイーンと京都を結んで

「原爆投下73年」にウイーンと京都を結んで
ウイーンの街で自分たちがドイツ語訳した証言ビデオをタブレットで市民向けに上映するウイーン大の学生たち

「原爆投下73年」にウイーンと京都を結んで

NET-GTAS held an event seeking “No More Hiroshimas” connecting the two cities of Japan and Europe. It was a joint project between Vienna University and Kyoto University of Foreign Studies students.

ウイーンの街で自分たちがドイツ語訳した証言ビデオをタブレットで市民向けに上映するウイーン大の学生たち
ウイーンの街で自分たちがドイツ語訳した証言ビデオをタブレットで市民向けに上映するウイーン大の学生たち
ウィーンからのビデオメッセージに見入るシンポジウム参加者たち。
ウィーンからのビデオメッセージに見入るシンポジウム参加者たち。
Hiroshima-Tag 参加者によるウィーンの街でアピールウォークの様子
Hiroshima-Tag 参加者によるウィーンの街でアピールウォークの様子

NET-GTASは「8月6日広島デー」に合わせて、オーストリアのウイーン大学と京都外国語大学の学生たちが、それぞれの街で、自らドイツ語や英語に翻訳した被爆者証言ビデオを市民向けに上映するなど、国境を越えたイベントを共同企画し「核兵器のない世界を」と訴えた。

イベントが行われたのは、京都では8月5日(日)夕、ウイーンでは8月6日(月)夜(いずれも現地時間)。
京都では左京区の檀王法林寺を会場に開かれた「原爆犠牲者・世界の戦争犠牲者を追悼する京都平和の集い」(京都宗教者平和協議会など4団体主催)のシンポジウムに合わせて、その前後に京都の被爆者、花垣ルミさんの証言ビデオの英語版と大阪在住の被爆者、濵恭子さんのドイツ語版の映像を上映した。同時にNET-GTASの4年余の歩みの分かる写真を10数枚集めた写真展も行われた。
また、シンポジウムそのものでも、NET-GTASの学生サポーターのひとり、阿比留高広君(京都外大国際教養学科4年)がパネリストとして参加しており、ウイーン大学の学生からあらかじめ受け取っていた京都の市民にあてたビデオ・メッセージをテレビ画面で紹介した。
ウイーンからのメッセージでは3人の学生が「私たちは翻訳学の授業で学生としてNET-GTASの証言翻訳を実践した。人間の苦しみは当事者の証言を聴くことが大事です。平和を守るために会話を続けましょう。京都の皆さんも力を尽くして平和の行動を続けてください」と呼びかけた。高齢者の多い聴衆から、拍手が沸いた。

写真展もウイーンと京都双方から作品を交換し合ったが、ウイーン側で作成した「広島の原爆ドームとウイーンの天文台」の合成写真は、両都市の人々に強い印象を与えたに違いない。波静かな川の夜景。右側には、鉄骨だけになった半円形のドームでおなじみの広島の原爆ドーム。73年前の8月6日まで「広島県産業奨励館」と呼ばれた建物だ。橋をはさんで左側には同じような半円形のドームの目立つビル。「ウラニア天文台」と呼ばれ、現在も生きている。「ウラニア」という名から「ウラニウム」を連想する人もいるかもしれない。

一方、ウイーンの街では6日夜(日本時間では7日未明)、「ヒロシマ・タグ(ヒロシマの日)」という原爆死者を追悼し平和を祈る行事が営まれた。100人近い参加者は「NIE WIEDER HIROSHIMA」(NO MORE HIROSHIMA)と書いた横断幕を先頭に市街地をデモし、市内を流れる川に色とりどりの鎮魂の紙灯篭を流した。
ウイーン大学の学生3人、ステファン・ラング君、クリスチャン・ベルガー君、リン・チンさんはその中で、彼らが昨年の授業でドイツ語に翻訳した濱恭子さんの証言ビデオをタブレットを使って市民向けに上映、同時に原爆にからむ写真の展示でウイーン市民とともに「平和」を祈った。ドイツ語字幕の映像を映し出すタブレットの前には、欧米や中国からの観光客やウイーン市民が取り囲んで学生たちに質問を浴びせるなど、関心を集めた。

(長谷 邦彦=代表)

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